水色に染まった一等星は流れ星に
人目を憚らず涙を零したのはいつ以来だろうか。
それは平成最後の師走の、20日の事だった。久しぶりに会う音楽で知り合った友人と豊洲で待ち合わせ。待ち合わせ場所へと向かう電車の中、毎日欠かさず見ているいつものURLを無意識に開いた。
これが自分にとって忘れられない1日になるなんて、数分前の自分には考えられただろうか。
生まれて初めて、人生捧げてもいいと思う程に愛してやまないサッカークラブの選手が、また1人クラブを去ってしまうという事実が、文面を通じて自分の元へ届いてしまった。
何も考えられなかった。乗り換えする駅のホームで、その情報を映したスマホを無意識に震える手でただただ、強く握りしめていました。心拍数が上昇しているのが、わかる。
待ち合わせの7分前に目的の駅に着いて化粧室で手を洗った時に鏡を見て、初めて自分の目から大粒の涙が溢れていた事を知るくらい、本当にただ、頭の中が真っ白だった。
今冷静になって考えると、普段の生活の中で「ショック」という言葉は日常的に使われているけど、これが「本物のショック」だったのだなと思う。
どうして、居なくなっちゃ嫌だ、悲しいという気持ちもその時はまだ抱いていなくて、サッカーは決して詳しくないけど話を聞いてくれる心の許せる友人と会って、その話をした瞬間に、急に寂しさが胸の中に染み渡ってきた。でも何も関係のない友人に迷惑をかけるわけにはいかないし、楽しみにしてた用事があったからその時は何も考えずに過ごせた。明らかに雰囲気が可笑しかった私だったのに、気にするそぶりもなく普通に接して楽しませてくれた友人には本当に感謝しかない。
友人のおかげで楽しい時間を過ごして別れた帰り道の満員電車の中、さっきまで蓋をしていた分の寂しさや悲しさが溢れ出して、ただ1人必死に上を向いてマフラーで顔を隠して涙を堪えながら帰宅しました。
ずっと心の中で盲目的に信じていたものがあまりにも儚く、崩れ去ってしまったという事実を受け止め、気持ちを整理するのにどれだけ時間がかかるだろうか、
そもそもフロンターレに興味を持つきっかけは、元々は選手個人がきっかけでした。でもその選手のプレーを見ているうちに、周りの選手のプレーだったり、ピッチ内外での関係性が無性に気になって、他の選手を調べたりする中で気が付いたらフロンターレの選手全員を大好きになっていました。
ただ、選手だけではなく、私がこのクラブ自体に惹かれた理由はチームの『選手達の結束力』と『サポーターとの強い絆』が他のクラブと比べて魅力的なものがあったからです。
監督も、選手もそうだしサポーターを含めた全員が同じベクトルに向かって、1シーズンを戦う事って、いたって当たり前のように感じるけど実際難しい事なのではないかと考える事がある。
クラブに登録されている選手は沢山いるが、実際試合に出られるのは【11人+交代枠3人】であって。
ベンチメンバーでさえ4人は出られない中、ベンチにすら入れない選手が居るのは事実で。
さらにチームが強くなればなるほど、選手たちの求められるレベルも高くなっていき、今レギュラーに定着している選手に比べてしまうと実戦経験などにも大きな差が出てきて、努力をしてもレギュラーになれない選手も少なからず居ると思うんです、どこのチームにも。
そういう時に、気持ちが腐ってしまう選手が出てきたりしてしまう事は少なくないと思う。だけど、フロンターレの選手で気持ちが腐っている選手は、私が見てきた中では、ほぼほぼ居なかったんじゃないかなって思ってます。(勿論チームに自分のプレースタイルが合う合わないはあったと思いますが)
そんな選手ばかりのクラブなので、サポーターだってクラブが大好きになるし、選手1人1人が大好きなんだと思う。
さらに『サポーターと選手の間の強い絆』というのは、私は勝手にフロンターレが世界一なんじゃないかなと思っている。
他チームサポーターからは時に散々馬鹿にされるけど、『勝った時には一緒に喜びを分かち合って、例え酷い負け方をした試合でもブーイングをしないでどんな時も選手に寄り添って一緒に前を向く姿』っていうのは、サポーターが本当に選手を心から信頼しているから出来る事で。
これはクラブや選手の今までの地域貢献活動や、サポーターと関わる時間を大切にしてくれている並々ならぬ努力があってこその絆だと思う。
だからこそ、私達サポーターを愛してくれる選手にはずっとフロンターレというチームで共に戦ってほしいしずっと愛し続けたいと、一個人の我儘ですが、強く思ってしまうんです。
でも、フロンターレがどんどん強くなっていく中で、試合に出たいのに出られなくて悔しい思いをしている選手が沢山いることも、心が痛いくらい分かっているんです。
サッカー選手としてプレーが出来る時間は、私達が思っている以上に短いです。人間誰だって歳をとると身体能力は落ちてしまうから。
その短い人生の中で、どれだけ長い時間ピッチの上に立って、自分のサッカーを出来るかが選手にとって、1番幸せな事なんじゃないかなと思います。
本音を言えば、
これからもずっと一緒に笑って、泣いて、
共にフロンターレで戦っていきたいです。
でも、ピッチの上で活躍出来る環境が他にあって、少しでも多く試合に出る事が彼らの幸せであるのならば、
私は彼等の背中を押せるサポーターになりたい。
だって川崎フロンターレというクラブに所属してプレーで貢献してくれた事、そしてサポーターを愛してくれた事実はずっと私達の心に残っているから。絶対忘れることのない、かけがえのない宝物だから。
だから私は、フロンターレに所属した選手が新天地で活躍出来るように全力で応援します。何があってもずっと好きなのは変わらない。だって愛しかないんだもん。嫌いになんて絶対になれない。
サッカー人生というかけがえのない時間の中でフロンターレでプレーをする事を選んでくれて本当にありがとう。出会ってくれて、本当にサポーターとして幸せです。今までも、これからも。
ただね、さよならだけは絶対に言わないよ。いつかどんな形でも良いからまた等々力で会えるって勝手に信じて待つくらいはさせて下さい。またピッチの上で活躍する姿を楽しみにしているから、この言葉にさせてください。
『行ってらっしゃい。また等々力で会いましょう』
散々此処まで色々と書いてきましたが、書いた事も勿論本心だけど、まだ少し自分の中に悲しみと寂しさと叶うわけもない我儘で複雑な気持ちが残っているのが正直なところです。
だから、せめて今だけでいいから、この涙が止まるまでは貴方を思って泣かせてください。